2010年02月09日
心に響いたエッセイ・・・
いつもお世話になっております。今日は、朝起きた時に、身支度を終えて日曜日に届いたであろう、沖縄タイムスの副読誌である『ライフサポートマガジン「らくら」』に目を通しました。

パラパラと県内の楽しい情報などが盛りだくさんの『ライフサポートマガジン「らくら」』。私は、あるエッセイに目が留まりました。
そのエッセイを読んでみて感じたことは、日頃の生活で、自分や他者が一生懸命に生きたり、自己主張をして、右にならえ!!と、人よりも突飛な発言すると潰されたり、おまえは黙ってろ!と言う雰囲気になったり・・・。
同時に、楽しんで生きていきたいのに、相手のことを認めなかったり、否定したり、批判したり、様々ですが、ネガティブな事もポジティブな事もありのままを、素直に受け入れてくれる社会って何なのだろう・・・そんなことを私は考えていました。
私たちの日本社会での「生きにくさ」をこのエッセイを書いた新城 愛さんは私たち大人に「幸せ?」とは「自分らしさ?」とは「お金より大切なもの?」とは、などをありのままに表現していると思いました。
このエッセイを読んでみて、あなたの「何か」を「心」を感じてもらえたらいいなと思い、空き時間を利用して打ち込んでみました。
エッセイ、幸せと私らしさ(文:沖縄キリスト教学院大学3年次 新城 愛)
ありがたいことに私にエッセイを書かないか?という話が舞い込んできた。
すごいチャンスだ!やりたい!と即了解した、どんなトピックでも全力でやろう!と思った。
しかし、「愛さんらしいエッセイをお願いします」と言われ「はっ!」と身構えてしまった。何を書いていいのか、なかなか思いつかずやっと出てきた言葉も読んだ本や周囲の言葉の借りもののような気がした。
私らしいとは??うーん、難しい・・・
私はなにが好きなのか?
私はなにをしたいのか?
私は社会の中でどんな役割をしていきたいのか?
私は何者か?
不況の中、周囲は就職活動に励んでいる。就職すること、収入はいくらか、大手企業かどうか、ということだけに重点をおいている人もいるそのことももちろん大事なことだけど・・・・就職は人生の中でも「私」を優先できない選択だと感じる。
生活の為だけではなく、自分の為に仕事ができればいいなぁ・・・・と思ってしまう。
経済的な豊かな事は、私らしさとつながるのかなぁ、幸せなのかなぁ。お金や地位を確立し、成功者のように見える芸能人って離婚したり、麻薬したり、自殺する人が多いと感じるだろう。
最近、私の身近で大切な人に「僕の今までの人生の中で望んでやった事はない。全て親に良い子として見てもらう為、いい人として見られる為だけに自分を偽ってきたんだ」と泣きながら告白された。
「泣いて苦しんでいるあなたは、本当のあなたなの?」と問うてしまう。
また、「いつもは出来るんだよ。ただ、誰にも見られてなければね」誰かに見られてる、と感じた瞬間、体が硬くなり見られている、という事だけで頭がいっぱいになって足し算すら間違えてしまう友達もいる。
私も、「私らしさ」を求められた時、このエッセイを考えた時、読み手の評価が一番気になってしまった。
今、まさに読んでくれている皆さん、皆さんはどんなことが読みたいのかな・・・って。否定される事が怖くて言葉を曖昧にしたり、自分が本当に思っている事は言わなかったりすると、逆に一般論ばかりでおもしろくない、と言われてしまうんじゃないか、と心配になる。
授業でも、個人の意見を出すときはみんながとても緊張するのがわかる。
こういうことが、外国に行くとぶち壊される。
外国では自己主張することにネガティブなことはあまり無い。
外国にも「自分探し」的な本とかがたくさんあるのかな?
日本よりは少ないだろうな、って思う。
そのことを考えた時、私の身近にもある鬱や不眠症、長引く五月病、ひきこもり、不登校、ニート、DV、自殺とかのことが思い浮かぶ。
日本って精神的に生きにくいのかな。
経済的なことが原因になったりするけど、それが原因なら外国にはもっと貧しいところがいっぱいあるのに。
なぜ、日本の若者がこんなに苦しんでいるのだろう。
日本の社会の流れとか、しつけ、教育が深く関係している気がする。
「KY」(空気読めない)という言葉が流行るほど極度に周りとの調和を求めることや経済的な豊かさを求める傾向。
「何を大事にしているのか」と今の社会を作った大人に聞いてみたい。
批判しているわけではなく、これからの私たちの世代に何を残していきたいのか、そしてさらに続く世代にも何を残していきたいのか。
今、振り返ってみて「私らしさを抑え込むと本当に幸せにはなれない」という前提のもとで幸せを考えていることに気づかされた。
大学生活とは、社会という大きな流れに飛び込む前に一歩立ち止まって社会の中からは見えづらい「私にとっての幸せとは」ということを考える場所なのかもって思う。いろんな刺激があってその度にどんどん自分が変わっていくようで不安になることがよくある。けど、直感的に自分が大切だと思うことは自然に残っていくんじゃないかなぁと思う。私は今をあきらめたくないし、楽しんでいきたい。また、周りもそうであってほしい。

パラパラと県内の楽しい情報などが盛りだくさんの『ライフサポートマガジン「らくら」』。私は、あるエッセイに目が留まりました。
そのエッセイを読んでみて感じたことは、日頃の生活で、自分や他者が一生懸命に生きたり、自己主張をして、右にならえ!!と、人よりも突飛な発言すると潰されたり、おまえは黙ってろ!と言う雰囲気になったり・・・。
同時に、楽しんで生きていきたいのに、相手のことを認めなかったり、否定したり、批判したり、様々ですが、ネガティブな事もポジティブな事もありのままを、素直に受け入れてくれる社会って何なのだろう・・・そんなことを私は考えていました。
私たちの日本社会での「生きにくさ」をこのエッセイを書いた新城 愛さんは私たち大人に「幸せ?」とは「自分らしさ?」とは「お金より大切なもの?」とは、などをありのままに表現していると思いました。
このエッセイを読んでみて、あなたの「何か」を「心」を感じてもらえたらいいなと思い、空き時間を利用して打ち込んでみました。
エッセイ、幸せと私らしさ(文:沖縄キリスト教学院大学3年次 新城 愛)
ありがたいことに私にエッセイを書かないか?という話が舞い込んできた。
すごいチャンスだ!やりたい!と即了解した、どんなトピックでも全力でやろう!と思った。
しかし、「愛さんらしいエッセイをお願いします」と言われ「はっ!」と身構えてしまった。何を書いていいのか、なかなか思いつかずやっと出てきた言葉も読んだ本や周囲の言葉の借りもののような気がした。
私らしいとは??うーん、難しい・・・
私はなにが好きなのか?
私はなにをしたいのか?
私は社会の中でどんな役割をしていきたいのか?
私は何者か?
不況の中、周囲は就職活動に励んでいる。就職すること、収入はいくらか、大手企業かどうか、ということだけに重点をおいている人もいるそのことももちろん大事なことだけど・・・・就職は人生の中でも「私」を優先できない選択だと感じる。
生活の為だけではなく、自分の為に仕事ができればいいなぁ・・・・と思ってしまう。
経済的な豊かな事は、私らしさとつながるのかなぁ、幸せなのかなぁ。お金や地位を確立し、成功者のように見える芸能人って離婚したり、麻薬したり、自殺する人が多いと感じるだろう。
最近、私の身近で大切な人に「僕の今までの人生の中で望んでやった事はない。全て親に良い子として見てもらう為、いい人として見られる為だけに自分を偽ってきたんだ」と泣きながら告白された。
「泣いて苦しんでいるあなたは、本当のあなたなの?」と問うてしまう。
また、「いつもは出来るんだよ。ただ、誰にも見られてなければね」誰かに見られてる、と感じた瞬間、体が硬くなり見られている、という事だけで頭がいっぱいになって足し算すら間違えてしまう友達もいる。
私も、「私らしさ」を求められた時、このエッセイを考えた時、読み手の評価が一番気になってしまった。
今、まさに読んでくれている皆さん、皆さんはどんなことが読みたいのかな・・・って。否定される事が怖くて言葉を曖昧にしたり、自分が本当に思っている事は言わなかったりすると、逆に一般論ばかりでおもしろくない、と言われてしまうんじゃないか、と心配になる。
授業でも、個人の意見を出すときはみんながとても緊張するのがわかる。
こういうことが、外国に行くとぶち壊される。
外国では自己主張することにネガティブなことはあまり無い。
外国にも「自分探し」的な本とかがたくさんあるのかな?
日本よりは少ないだろうな、って思う。
そのことを考えた時、私の身近にもある鬱や不眠症、長引く五月病、ひきこもり、不登校、ニート、DV、自殺とかのことが思い浮かぶ。
日本って精神的に生きにくいのかな。
経済的なことが原因になったりするけど、それが原因なら外国にはもっと貧しいところがいっぱいあるのに。
なぜ、日本の若者がこんなに苦しんでいるのだろう。
日本の社会の流れとか、しつけ、教育が深く関係している気がする。
「KY」(空気読めない)という言葉が流行るほど極度に周りとの調和を求めることや経済的な豊かさを求める傾向。
「何を大事にしているのか」と今の社会を作った大人に聞いてみたい。
批判しているわけではなく、これからの私たちの世代に何を残していきたいのか、そしてさらに続く世代にも何を残していきたいのか。
今、振り返ってみて「私らしさを抑え込むと本当に幸せにはなれない」という前提のもとで幸せを考えていることに気づかされた。
大学生活とは、社会という大きな流れに飛び込む前に一歩立ち止まって社会の中からは見えづらい「私にとっての幸せとは」ということを考える場所なのかもって思う。いろんな刺激があってその度にどんどん自分が変わっていくようで不安になることがよくある。けど、直感的に自分が大切だと思うことは自然に残っていくんじゃないかなぁと思う。私は今をあきらめたくないし、楽しんでいきたい。また、周りもそうであってほしい。
Posted by 伊波秀輝 at 13:00│Comments(0)
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