2009年06月24日
不戦の誓いを込めて・・・
この記事は予約投稿です。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。6月23日は慰霊の日でした。私は糸満市にある白梅の塔へ式典に参列しました。
【白梅の塔とは】
白梅学徒隊は、県立第二女学校の学徒隊です。
東風平村富森の八重瀬岳にあった野戦病院が激戦の中、
昭和45年6月4日に解散した際、救護にあたっていた白梅
学徒は、ちりぢりに戦火から逃れるため撤退していきました。
しかし、それは撤退というよりも、アメリカ軍の砲火に追いつ
められたと言った方が正しいのです。
追いつめられた白梅学徒の一団は、この塔の近くの自然壕に
いたが、6月22日に、アメリカ軍の爆弾やガソリンを壕の中へ
流し込まれ、火炎放射器での攻撃を受け、最後は持たされて
手榴弾で自決するという痛ましい結末を迎えてしまいました。
野戦病院などで従事した白梅学徒は、南部戦線のあちらこ
ちらで、このような悲惨な運命をたどり、動員された55名中、
21名が命を失いました。
白梅の塔は、このような運命をたどった県立第二高等女学校
の生徒、教職員を祭った慰霊塔です。
戦後64年の夏を迎えた沖縄。
式典会場には、暑い中多くの遺族や関係者が参列していた。セミの鳴き声が轟く中、松の木にゆれる葉が、ゆらゆらと地面に影として写り、太陽と松の葉の影が、それは水面(みなも)のようにギラギラと輝いて見えていた。時折、心地いい風が頬をつたって、身も心も清められるような時間を私は過ごした。

何時の時も、世界のどこかの国では「血で血を争う戦い」が行われている。混沌とした複雑な現代社会だけれども、私たちは、若くして命を失なわれた御霊の分まで平和を希求し、恥じることがないよう、しっかりと生きていかなければならないだろう。。。
【ご協力願い】 あなたと共に 〜ささえ合って 励ましあって〜
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。6月23日は慰霊の日でした。私は糸満市にある白梅の塔へ式典に参列しました。
【白梅の塔とは】
白梅学徒隊は、県立第二女学校の学徒隊です。
東風平村富森の八重瀬岳にあった野戦病院が激戦の中、
昭和45年6月4日に解散した際、救護にあたっていた白梅
学徒は、ちりぢりに戦火から逃れるため撤退していきました。
しかし、それは撤退というよりも、アメリカ軍の砲火に追いつ
められたと言った方が正しいのです。
追いつめられた白梅学徒の一団は、この塔の近くの自然壕に
いたが、6月22日に、アメリカ軍の爆弾やガソリンを壕の中へ
流し込まれ、火炎放射器での攻撃を受け、最後は持たされて
手榴弾で自決するという痛ましい結末を迎えてしまいました。
野戦病院などで従事した白梅学徒は、南部戦線のあちらこ
ちらで、このような悲惨な運命をたどり、動員された55名中、
21名が命を失いました。
白梅の塔は、このような運命をたどった県立第二高等女学校
の生徒、教職員を祭った慰霊塔です。
戦後64年の夏を迎えた沖縄。
式典会場には、暑い中多くの遺族や関係者が参列していた。セミの鳴き声が轟く中、松の木にゆれる葉が、ゆらゆらと地面に影として写り、太陽と松の葉の影が、それは水面(みなも)のようにギラギラと輝いて見えていた。時折、心地いい風が頬をつたって、身も心も清められるような時間を私は過ごした。

何時の時も、世界のどこかの国では「血で血を争う戦い」が行われている。混沌とした複雑な現代社会だけれども、私たちは、若くして命を失なわれた御霊の分まで平和を希求し、恥じることがないよう、しっかりと生きていかなければならないだろう。。。
【ご協力願い】 あなたと共に 〜ささえ合って 励ましあって〜
Posted by 伊波秀輝 at 10:44│Comments(0)
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