2009年02月24日
Thank You ジャーナリスト筑紫 哲也さん
こんばんは。伊波です。今夜の那覇市民会館はザワザワとしていました。そう、筑紫哲也さんのお別れ会が、執り行われました。県内の素晴らしいミュージシャンや、たくさんの思い出話が語られました。
私は半時間遅れて夜の部に参加したのですが、私で最後となった、駐車したスペースも、私を待っていたかように、難易度高い駐車に何度も何度も、切り返しながら、所狭しと数ある車の中に無事に駐車完了
気持ちだけが焦りました
係員にも感謝
大ホールも立ち見が溢れるばかり
もちろん中には入れません
仕方なく、別モニターでホールの外にて、会を見守りました。隣は、偶然にも祖母方の叔父さんがいらして、補選以来の再会に嬉しくなり、筑紫さんの話に花が咲きました
いよいよ、会も終盤。私のいたモニターのそばには、番組「NEWS23」の目玉であった、他事争論の直筆のボードが山のように展示されていた
もちろん、写真集に、それから、原稿直筆の展示など、在りし日の筑紫さんに思いを馳せながら、この日のために再結成された初代「ネーネーズ」の
テーゲー
、そして番組のエンディングに採用された
黄金の花
この二曲の生歌に、私は思わず涙しました。隣にいる方や、すすり泣きが外にいる私たちの空間に、響き渡りました。
ジャーナリストとして、常に問題提起をし、また、沖縄の事を本州から積極的に発信し続けて、これまでのNEWS番組、そしてTelevisionを変えたといわれた、筑紫さんの功績は大きいです。
どんなに時代が変わろうとも、私たちに「時代」に向き合うことの大切さ「論」ずる大切さを教えてくれました。また、言論の自由、特に「論」ずること
に、拘り続けたことは、民主主義の本質を根本から、捕えていたのかもしれません。
振り返れば、二十歳前に埼玉から夏休みを利用して、名護市の基地移設の是非を問う「住民投票」に関連しての、具志川市民劇場での筑紫さんの講演に足を運んでは、元記者としての築き上げたであろう、氏の分厚い手を握手出来たことの温もりが思い出されました。
在りし日の筑紫さんに、改めて「ありがとう」と感謝。合掌。
私は半時間遅れて夜の部に参加したのですが、私で最後となった、駐車したスペースも、私を待っていたかように、難易度高い駐車に何度も何度も、切り返しながら、所狭しと数ある車の中に無事に駐車完了



大ホールも立ち見が溢れるばかり


仕方なく、別モニターでホールの外にて、会を見守りました。隣は、偶然にも祖母方の叔父さんがいらして、補選以来の再会に嬉しくなり、筑紫さんの話に花が咲きました

いよいよ、会も終盤。私のいたモニターのそばには、番組「NEWS23」の目玉であった、他事争論の直筆のボードが山のように展示されていた





ジャーナリストとして、常に問題提起をし、また、沖縄の事を本州から積極的に発信し続けて、これまでのNEWS番組、そしてTelevisionを変えたといわれた、筑紫さんの功績は大きいです。
どんなに時代が変わろうとも、私たちに「時代」に向き合うことの大切さ「論」ずる大切さを教えてくれました。また、言論の自由、特に「論」ずること

振り返れば、二十歳前に埼玉から夏休みを利用して、名護市の基地移設の是非を問う「住民投票」に関連しての、具志川市民劇場での筑紫さんの講演に足を運んでは、元記者としての築き上げたであろう、氏の分厚い手を握手出来たことの温もりが思い出されました。
在りし日の筑紫さんに、改めて「ありがとう」と感謝。合掌。

Posted by 伊波秀輝 at 22:58│Comments(1)
この記事へのコメント
2月24日は筑紫哲也さんのお別れ会が
あったのですね。
筑紫哲也さんのNEWS23。
私も時々ですが、拝見していましたよ。
沖縄問題など、よく取り上げられていました
よね。
沖縄県民としては、ありがたい事だな~
なんて思ってましたもん。
筑紫哲也さんのご冥福。
私も心からお祈り申し上げます。合掌。
あったのですね。
筑紫哲也さんのNEWS23。
私も時々ですが、拝見していましたよ。
沖縄問題など、よく取り上げられていました
よね。
沖縄県民としては、ありがたい事だな~
なんて思ってましたもん。
筑紫哲也さんのご冥福。
私も心からお祈り申し上げます。合掌。
Posted by ホタル
at 2009年02月25日 13:04
